空を飛ぶ鳥の姿は、古来より自由の象徴として語られてきた。大気を切り裂き、地上のいかなる境界線にも縛られず、ただ風と光のなかを進む鳥の姿に、人間は自らの理想を重ねてきた。
しかし、鳥でありながら空を飛ばない鳥がいる。
鶏である。
翼を持ちながら飛ばない。野山を駆けることもなく、囲いのなかで餌を食み、決められた時間に眠り、決められた場所で一生を終える。
なぜ、鶏は飛ばないのか。
問いは単純に見えて、思いのほか深い場所へと続いている。鶏という小さな命の歴史を丁寧に辿ると、生命と環境のあいだに働く、ある根本的な力学が浮かび上がってくる。能力は、必要とされなければ失われる。自由は、与えられた環境のなかで少しずつ形を変える。そして長い時間をかけた変化は、変化したあとの姿を「もとからそうだったもの」として定着させる。
そしてこの問いは、いつしか別の問いへと姿を変える。鶏は、与えられた飼料を食べ、与えられた空間を歩き、与えられた光のもとで眠る。その一日を、おそらく不満なく生きている。むしろ、世話をしてくれる存在として、人間を信頼している面さえあるかもしれない。しかし、その鶏が産み出す卵も、最終的には肉となる体も、すべて人間の側に収穫される。鶏自身は、収穫される自分という構造に、最後まで気づかない。
これは、本当に鶏だけの話だろうか。
本書は、一羽のヒヨコとの出会いから始まった。手のひらに乗るほどの小さな命が、私の前で眠ったその日、私は鶏という存在を初めて近くで見た。問いは、そこから動きはじめた。そして、そのヒヨコが、ある日、私に思いがけないものを見せてくれたとき、問いはさらに深い場所へと続いていった。
鶏はいかにして現在の姿になったのか。飼われることが命に何をもたらすのか。そして、生命が本来持つ力とは何なのか。小さな鳥の一生を通じて、見えてくるものがあるはずだ。
― 続きは本書で ―